その1 プロフィール その2 緑地の概要 その3 地域別、船橋市の風土(南部) その4 地域別、船橋市の風土(中部) その5 地域別、船橋市の風土(北部) |
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地域別、船橋市の風土(南部) 【今と昔】 現在、南部は工場地帯が広がっています。東京湾は遠浅であったため、高度経済成長に伴って埋め立てが広く行われました。その結果干潟という干潟が消失し、現在船橋市においては探鳥地として有名な三番瀬を残すのみとなってしまいました。 右の地図をご覧ください。地図上東西に国道14号線が伸びています。実は、国道14号線よりも南には神社・仏閣はありません。つまり、昔は14号線より南、地図で言うと赤い線よりも下側は海だったのです。こうしてみると如何に広大な面積を埋め立てたのがお分かりなのではないでしょうか。 また、国道14号線の少し北には、船橋大神宮があります。ここには、千葉県の文化財に指定されている「灯明台」があります。灯明台とは灯台のことです。明治13年から28年まで使用されていました。このことからも明治までは大神宮の辺りまで海だったことがお分かりいただけると思います。 今、砂浜を見るまで船橋大神宮から数キロ南下しなくてはならず、海は遠い存在となってしまいました。私はそれが少し寂しい気がします。 |
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【船橋大神宮】 少し脱線しますが、ここで船橋大神宮について触れてみたいと思います。 船橋大神宮は正確には意富比(おおひ)神社といいます。 神社にある「由緒」をみてみますと、古事記にでてくる第12代天皇の景行(けいこう)天皇の御世に日本武尊(ヤマトタケル)が東国を平定した際、この地に伊勢神宮を勧請したとされています。 このように船橋大神宮と伊勢神宮との強いつながりをみると、房総半島と紀伊半島の関連性の強さを垣間見ることが出来ます。船橋がある房総半島には勝浦という地名があり、紀伊半島にも同様の地名があることも一例として挙げられます。 私の想像ですが、その理由は昔紀伊半島と房総半島との間の海上交易が盛んだったからではないでしょうか。 船橋大神宮では、毎年秋奉納相撲が行われます。実は、私も子供の頃出場したことがあります。この奉納相撲は、江戸時代から始まったとされています。 また、元旦には初詣で大変賑わうなど、地元にとって今も大変親しまれています。 |
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船橋大神宮の灯明台 古くから海上で生活していた人々の神社信仰と航海の安全のため浄財を集めて建築されました。 建築は木造3階建てで、建物の中には管理人を宿泊させる宿舎が設けられています。 明治13年10月から明治28年10月まで使用されました。 昭和37年5月1日、千葉県の文化財として指定を受けています。 |
【南部の野鳥】 先ほどの述べたとおり、南部には探鳥地として有名な三番瀬があることから、この一帯にいる野鳥は、シギ、チドリなどの水鳥が中心です。ここでは四季を通じて様々な野鳥が観察できますが、特に、旅鳥と言われる春と秋にやってくる鳥たちの中には、珍しい種類の鳥も観察できることがあります。 このことから、この干潟は、渡りの中継地点として野鳥たちにとって、とても重要な役割を担っていることがお分かりいただけると思います。 平成13年に、千葉県では、これ以上埋め立ては行わないことを決定し、どのような保全、再生方法があるのか円卓会議で議論中です。 |
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【代表的な野鳥】 | ||
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ハマシギ | スズガモ | ミヤコドリ |